ハイレゾ音源が話題になり始めた時期に、「ハイレゾ音源いらない論」の中で一つ著者もなるほどなぁ、と思った意見がありました。
それは、「音楽を聴きたいのであって音質を聞きたいんじゃない」といった感じのものだったと思います。別に特別に良い音じゃなくても、音楽として聴ければOKなのだ、と言う考え方だと思います。
実際この考え方は正しいと思います。むしろとても健全なオーディオへの向き合い方なのではないかと思います。
オーディオ自体が趣味とか、その評価を生業としている、といった場合を除けば、オーディオ機器を揃える目的は音楽を聴くためなのですから。
今回はこの辺りを軸として、なぜハイレゾ音源なのかをちょっと考えてみます。
どんなに良い音でも生演奏以外はホンモノではない
MP3でもCDでもハイレゾ音源でも、はたまたアナログレコードであっても、一度録音されて手元に届く音楽はやっぱり「コピー」なんですよね。
生演奏を実際のコンサート会場に行って聴く以外、ホンモノの音ではありません。
こういった音楽を伝えるための媒体やオーディオ機材が発達してきた目的の一つは、どれだけ生の演奏に近い音、ホンモノに近い音を再現できるか、それを追求してきた歴史だと思います。
ちょっと極端な例で示すと、CDなどで聴ける音は元の音の「記号化されたイメージ」、画像で言うならばパワーポイントなどで使う「クリップアート」のようなものだと思います。
本当の音を聴いているのではなく、人間が考える「ピアノの音はこんなイメージ」という「音の記号」を聞いているのではないかと思います。
クリップアートから解像度の高いリアルな写真に近づけようとするアプローチがハイレゾ音源、というイメージではないかと著者は考えています。
場合によっては写真よりもクリップアートの方が対象をイメージしやすいケースもありますよね。それが音楽の場合にも当てはまる気もしています。人間は何事も抽象化したイメージで認識しているケースが多いですから。
CDや、MP3などの圧縮音源はそのあたりの「記号化された音のイメージ」をとてもうまく伝えられるメディアなのではないかと思います。
発明されてからの歴史も長いですから、使いこなしもとても上手になっていますし。
もっとアーティストの意図を聴き出したくない?
ボーカル曲を聴く際のハイレゾ音源のメリットは、わずかな声のニュアンスやかすれ、ブレスの継ぎ方などのとても小さな抑揚なども聞き取りやすいところが上げられます。
そういった微妙な表現に、アーティストが作り出したいプラスαが埋もれているのではないかと思います。
ハイレゾ音源を選ぶ、音源をきちんと聴ける環境を整える、という目的の一つは、記号化された音だけではなく、本来もっとアーティストが伝えたいと思っているニュアンスまで楽曲から聴き出してみたくないですか?というこの部分にあるのではないかと思います。
圧縮音源でも埋もれている音があるかも?
とりあえず音が聴ける、と言うレベルの機材から使う機器をアップグレードすると、聴き慣れていた音源でも今まで聞こえていなかった音がたくさん埋もれていることに気づく、ということは結構良く出会うパターンです。
元々音源側に含まれている情報量を再生機材が引き出せていないと言う形ですね。
例えばパソコンの内蔵サウンド回路に数千円ぐらいのPC用スピーカーをつないで再生、という聞き方をしている場合などは、聞こえていない音がたくさん埋もれるパターンの代表例ですね。
どちらのデバイスもどちらかと言えばパソコンの警告音などを出力するためのもので、元々が音楽を音楽としてきちんと再現するためのものではないからです。
スマートフォンは最近、音楽プレイヤーや動画プレイヤーとして活用するユーザーが増えたことで音質面もかなり頑張っていますが、それでもやはり元々は通話のための音声回路です。元々オーディオとして設計された機材とはどうしても差は出てきます。
まずは今まで聴いていた音をちょっと疑ってみることから始めるのがいいかもしれませんね。
これから少しオーディオに手を入れてみようと思われる方は、まずあとりあえず音の出口になる、イヤフォン・ヘッドフォン、スピーカーをアップグレードすると、普段聴き慣れたはずの音楽にもびっくりする発見があるかもしれません。
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